「いずれ自分は海外に出るものだと考えていた」アイスホッケー・三浦優希 17歳からチャレンジを続ける”決断の哲学”
海外挑戦において今も思い続けている感謝の気持ち
チェコでのプレーが本格的な海外進出となり、今に至る原点とも言える挑戦。自身でも「人生最大の決断の一つだった」と振り返る。
ただ、海外挑戦については少年時代から既に考えていた。小学生の時からチェコ以外にもカナダやアメリカにも行っており、海外の文化やアイスホッケーに触れていた。
そのため、「いずれかのタイミングで自分は海外に出るものだ」と、日本にいた当時は考えていたという。それは両親の影響が大きかった。
「両親にはとても感謝しています。数ヵ国に連れて行ってもらい、”グローバルな視点を持ち続けなさい”と教えてもらいました。
特にアメリカについてはニューヨークでの大会に参加させていただいて、海外の選手たちとアイスホッケーをする楽しさや、あとは言葉がわからないなりにも自分の言ったことが通じたときの喜びがすごく大きかったんです」
両親への感謝はもちろんのこと、ここで三浦は「もう一つ必ず伝えたいことがあるんです」と語り、こう続けた。
「僕が高校を離れる選択をして、海外に出ることを快く理解してくれた先生やチームメートの方々には、今でもずっと感謝の気持ちを持っています。
早実のアイスホッケー部は経験者と初心者が融合されたチームだったので、経験者の僕が離れてしまうことはチームには大きな負担になったと思います。
それでも僕の夢を追うことを本当に快く応援してくれたのが当時のチームメイトであり、監督・ご父兄の方々でもありました。『行って来い!』と送り出してくれたことを覚えてます」
単身での海外挑戦は周囲から大きく背中を押してもらい羽ばたいたものであったが、自身にとって最初は苦労の連続だった。まずは言葉の壁が立ちはだかる。
事前に語学の勉強をして、準備万端で臨んだわけではなかったという。
「特に言葉に関しては全くできない状態でチェコに行きました。それでも、現地に行ってから学べることがたくさんありました。
勉強を続けることはもちろん、チームメートと多くの時間を一緒に過ごすようになって少しずつ言語力の部分も上がっていったと思います。
10代の時から異文化に触れた”外国人”になる経験ができたのは、すごく僕にとっても大きかったです」
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