第2回「東日本身体障害者野球大会」開催!杜の都で磨かれた東日本の絆

8月某日、宮城県のシェルコムせんだいで「第2回 東日本身体障害者野球大会」が行われた。東日本のチームが一堂に集まり、交流と熱戦が繰り広げられた。

(写真 / 文:白石怜平)

昨年に続き、2年連続の開催に

本大会は昨年新設された公式大会で、日本身体障害者野球連盟に所属している東日本エリアのチームが参加している。

神戸で発祥し、西日本を中心に広がってきた身体障害者野球。東日本全体でもさらにチーム間の交流を深め、この野球をさらに盛り上げたいという想いから始まった。

昨年から始まった本大会

大会開催の機運は以前から高まっていた。遡ること08年に千葉マリン(現:ZOZOマリン)スタジアムで「福本豊杯」と冠した大会が行われていた。

16年前と言えども東日本でも開催実績があったことから、「もう一度東日本で大会を開催できないか」と5年ほど前から各チーム間で検討していた。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い計画は一時中断。

コロナ禍も明けた一昨年の後半ごろから改めて検討が再開され、「第5回 世界身体障害者野球大会」が開催された”身体障害者野球イヤー”に晴れて実現した。

なお、大会のルーツにはある名選手が絡んでいる。それはこの野球の創設者とも言える福本豊氏(元阪急ブレーブス)。

今回の優勝カップも08年当時のものを活用し、今後も続く大会として受け継いでいく意思を全員で示した。

08年の”福本豊杯”の優勝カップが今大会にも活用されている

チームの枠を越え躍動した連合チーム

今回参加したのは「千葉ドリームスター」「東京ジャイアンツ」「福島アクロス」「仙台福祉メイツ」の4チーム。

加えて、「東京ブルーサンダース」「埼玉ウィーズ」「群馬アトム」「新潟シリウス」の監督・選手の一部が参加した。

選手単位で参加したメンバーでは連合チームが即席で結成され、色とりどりのユニフォームが見られた。

チームの垣根を越えて、2日間プレーした

この2日間は各チームの交流はさまざま。チーム同士の真剣勝負もあれば連合チームの中でお互いにコミュニケーションを取り合うなど、選手・チームの垣根を越えた。

より密な交流を重視するため、チーム単位で参加した選手も試合がない場合は連合チームへと参加できるルールにした。

千葉ドリームスターの小川颯介は初日は2試合、2日目に3試合出場。所属と連合チームの計5試合に出るというタフネスぶりを見せた。

昨年まで志学館高校の硬式野球部として活躍し、この春入団した若武者はランニング本塁打を放つなど攻守に躍動した。

春から千葉ドリームスターでプレーする小川颯介

また、他にも随所に選手たちのプレーが光った。決勝戦となった連合チームと昨年覇者の「仙台福祉メイツ」戦では柵越えの本塁打が2本飛び出した。

アーチを描いたのは群馬アトムの伊藤優と福島アクロスの鈴木大樹。鈴木は満塁弾となり、打った瞬間確信したのかベンチに向かって合図し塁上で喜びを表わした。チームを率いた落合秀行監督(群馬)も2人を労った。

本塁打を放った伊藤(写真上)と鈴木(同下)

連合チームの一員として参加した新潟シリアスの川津光由選手は以下のように振り返った。

「少数精鋭でモチベーション高く試合に臨むことができたと思います。また、他のチームのみなさんと一緒にプレーできてとても勉強になりました。来年は単独チームで出場できるよう、練習に取り組みたいです」

攻守で中心を担った川津

大会は全員が怪我なく無事に終え、東日本のチーム同士がお互いの健闘を祈り・労う2日間となった。大会の立ち上げから開催までをリードしている、大会長の相澤征悦氏は

「今後第5回、第10回と当該大会を継続できるよう努めていきたいです。 変化やチャレンジを恐れず、誰もが楽しめ面白みのある大会を目指します。

この経験を生かして近い将来、東日本から全国大会優勝チームを輩出するようなきっかけになればと思います」と語った。

表彰式に参加した連合チーム(写真上)と仙台福祉メイツ(同下)

また来年元気な姿で会うことを約束し、それぞれの地へと帰還。下旬には関東甲信越大会など地域大会が行われ、真剣勝負の舞台は続いている。

(おわり)

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