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元オリックス・小川博文さん 名伯楽から学んだ打撃向上のヒントと震災で感じた”人の温かさ”

「あの時は野球はおろか命も助からないかも知れなかった」

小川さん、そしてブルーウェーブを語る上で欠かせないのが95年・96年の連覇。95年1月17日に発生した阪神・淡路大震災によって多くの人の命が奪われ、街も崩壊するなど兵庫県を中心に甚大な被害を受けた。

震災当日の出来事は聞く側のイメージを超越するほど衝撃的なものだった。

「今でも思い出すのですが、僕は西宮で経験しました。あの時は野球はおろか命も助からないかも知れないと思ったぐらいの揺れだったんですよね。

それで、家を出た瞬間に玄関も陥没している。アスファルトからはガス管が破裂して陽炎が出ている。高速も倒れているあのシーンも実際に見たわけですから。

1週間以上風呂にも入れない。いつも寝るときはジャージで枕元に貴重品を置いて、もう揺れたらすぐ起きるというね。そういう生活で、水が沸き出たと聞くとバケツを汲んで浴槽に溜めて。

その後知り合いの方にお風呂に入れてもらったのですが、すごくありがたかった。日常生活で当たり前のことができなかった期間ですが、本当に人のありがたみを感じました」

震災当時のことは今も思い出し、語り継いでいる

1月は例年自主トレを行っている時期であるが、もちろん野球ができるなんて考える余裕もなく、その日その日を生きることで精一杯だった。

ニュースで惨状を見た鳥取の知人が、自身の軽自動車にポリタンク30ケース分の水や食料を届けてくれたという。小川さんも「心の中で涙を流していました」と語り、近所で分け合った。

そんな中始まった2月1日の宮古島キャンプ。ここでチーム全員が顔を合わせた。ただ、当然ながら心境はみな一緒だった。

「チームが揃った時は全員集まれて安堵感はあったのですが、被災された方あるいは神戸や三宮など街の悲惨や火事で燃えていく模様をまざまざと見ているので、僕らは本当に野球をやっていいのかという心境になっていましたよ」

仰木監督も「キャッチボールからでいいからゆっくりやろう」と選手の状況を慮り、各々で調整をじっくりと進めた。それでもオープン戦やシーズンは待ってくれない。本拠地のグリーンスタジアム神戸以外を使用するかも検討された。

それを聞いた当時の宮内義彦オーナーは「こんなときに神戸から絶対に逃げ出してどうする。一人も来なくてもいいから、スケジュール通り絶対、神戸で開催を」という”号令”を出した。

その号令通り、オープン戦開幕から予定通り神戸で開催。4月1日のシーズン開幕戦には3万人を超えるファンが詰めかけ、その希望に復興への想いも寄せた。心を塞いでしまいそうな日々の中、希望の光を照らしたのがブルーウェーブだった。

つづく

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