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「ライオンズはまだまだやることがたくさんある」元西武・髙木大成が振り返る引退の決断と球団の社員への転身〜著書出版記念特別インタビュー第2回〜

”選手としての”意見を言える唯一の立場

著書の第1章の中に「サラリーマンになるチャンスが魅力的に思えた(中略)」と記されている。

現役時代はスポットライトを浴びながら3万人の大観衆を背に主力としてプレー。強豪チームで97年・98年の連覇に貢献した男からは意外な表現だと感じた。その真意を問うてみた。

「選手としての意見を言える唯一の立場なので、ゼロから球団を創り上げられる。そこに希望を感じました。当時はいわゆるファンサービスが常に行われていたわけではなく、04年のある出来事をきっかけに始まりました。

なのでやり始めれば間違いなく顧客満足度が上がるのはわかっていたので、その点では『ライオンズはまだまだやることがたくさんあるな』と」

”ある出来事” これは当時の大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)の合併構想から始まった球界再編問題のことである。

日本プロ野球選手会会長だった古田敦也を中心に、選手会側は経営者側とシーズン中にも関わらず幾度となく話し合いを重ねた。途中、もう2チームを合併させ10球団・1リーグ構想への流れが進むなど混迷を極めながらも、選手会の尽力により2リーグ12球団を守り現在に至っている。

髙木は当時、前年オフの手術の影響でリハビリに専念していた。自身も野球ができない焦りに加え、グラウンド外で出来事にもどかしさを隠せなかった。

「私はメディアを通じてしか知ることができなかったのですが、憶測などで色々な報道がされていましたね。当時は古田さんを先頭に2リーグ12球団を維持するべく戦っていましたが、まさに同じ気持ちでした。Jリーグも当時からすごい盛り上がりを見せていたので野球界への危機感はすごく感じていました」

野球界に危機感を抱いていたという髙木(写真:ワニブックス)

髙木が現役だった10年間(96年〜05年)は、上記の合併と同年オフのダイエーからソフトバンクに譲渡される以外は球団の親会社が変わる事すらなかった。

そのため、「『球団が変わることが現実に起きるんだ』という驚きはありました」と04年時の心境を語った。

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