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東日本大震災から10年、東北楽天 日本一の軌跡(前編)「イーグルスが復興に導く活力に」

2011年3月11日、過去最大規模の地震と津波が東北地方を中心に襲った東日本大震災。今年、この震災から10年を迎える。

仙台に本拠地を置く東北楽天ゴールデンイーグルスは、2013年に日本一に輝き、東北復興のシンボルとなっている。

当時の主力メンバーだった聖澤諒イーグルスアカデミーコーチ、チームスタッフとして選手のサポートをしていた楽天野球団 松野秀三氏に話を伺い日本一までの軌跡を振り返る。

本編では、松野氏編をお届けする。

(取材協力 / 写真提供:楽天野球団 ※以降敬称略)

震災当日、球場で大きな揺れに襲われる

松野は本拠地であるKスタ宮城(現:楽天生命パーク宮城)向かいのクラブハウスにいた。14時46分ごろ、突然大きな揺れに襲われた。

キャビネットが倒れてくるほどの大きな揺れで、現実を把握するのに時間がかかるほどの混乱になった。

建物内にも非常階段に亀裂や損傷が入るなど、これまでにない被害だった。スタッフはそれぞれ身の安全を確保をし、球場の外に避難した。

時間が経過しニュースを見た瞬間、画面の先には津波の映像が目に飛び込んできた。

宮城県では2008年6月に岩手・宮城内陸地震で震度6強・マグニチュード7.2の大地震が起きていた。松野も当時の経験から、発生した時点で大きな被害になることはすぐに分かったという。

「我々も大きい揺れを過去に経験してるので、『これは被害が大きいものだな』というのは、体感で分かりました。ニュースが入ってくるたびに被害の状況が大きいことが把握できましたが、家族の安否もあるので一度チームスタッフを自宅に戻そうとしたんですね。ただ戻れない人もいました」

震災当時を振り返る松野

松野含め、スタッフも急な対応に追われることになる。自宅が被害にあった方もいた。

1軍のメンバーは兵庫県明石市内でロッテとのオープン戦の最中で、ファームも教育リーグで埼玉へ遠征に行っていた。残った一部の選手が仙台で調整していた。

遠征に行っているメンバーとの正確な情報をキャッチしようにも携帯電話すら繋がらない状況だった。

松野はじめ球場にいるスタッフは、外周で使用するテントを使って仮の避難スペースを設置した。チーム関係者の家族らに向けた避難所として数日間を過ごす。

通信環境が復旧した段階で、オンライン上で遠征中のメンバーと顔を合わせお互いの安全を確認した。

食料などの物資も不足していたためその手配や、チーム関係者だけでなく地域の方々に避難所を提供できるように充電エリアなど整備するなど1つ1つ整えていった。

関西での開幕に向け準備を進める

震災が起きてから関西にいた1軍の面々が仙台に戻れたのは4月7日。その間に開幕は3月25日から4月12日へ延期に。

スタッフは、チーム関係者や地域の方々の安全を確保した次は開幕に向けた準備を再開。Kスタ宮城は47箇所もの損壊が見つかったため修復作業に着手。4月29日の開催に向けて急ピッチで作業を進めた。

一方、松野は選手たちの調整に支障が出ないように関西に向かい練習試合や場所の確保に奔走。合間に募金活動も行った。

そして4月12日、QVCマリンフィールド(現:ZOZOマリンスタジアム)でシーズンが開幕した。

”被災地のために戦う”

チーム全員が1つになり、ユニホームに「がんばろう東北」を袖に特別なシーズンへと臨んだ。今も付けられているこのワッペンをつけようと動いていた一人が松野だった。

試合は、エース岩隈久志が力投し、嶋基宏(現:東京ヤクルト)の3ランで援護するなど6−4で勝利を飾った。

ホーム開幕戦は4月15日、甲子園球場でのオリックス戦。松井稼頭央(現:西武二軍監督)の先頭打者本塁打、田中将大の2失点完投で3-2で勝利。

そして4月29日、本拠地での開幕を迎えた。照明灯を始め47箇所の損壊が出ながらも約1ヶ月で開催できるまでに復旧させた。この試合も田中が1失点完投し3-1。節目の3試合を全て勝利で決めた。

「様々な想いで開幕を迎えたのですが、象徴的な開幕でした。リーグ戦が12日、15日にホームとして甲子園、29日が本拠地の仙台。『絶対に被災地のみなさんに勇気を届けるんだ』という気持ちもあって、3試合全てを勝利で飾れることができた。当時の想いが今でも残っています」

東北のみならず国民の後押しを受け、順調に滑り出したイーグルス。しかし、勝負事である以上は相手も負けるわけにはいかない。

終盤までクライマックスシリーズ争いを繰り広げるが3位と3ゲーム差の5位、翌12年も勝率5割ながら4位に終わった。

「2011年は、チームみな不安を抱えながら当時開幕を迎えたところも正直あり、それぞれの想いが家族やファンそして東北のためにと精神的に追い込んで戦ったシーズンでした」

このままでは終われない。悔しさを糧にあの13年シーズンを迎える。

2013年、”強さを見せた”初の日本一

ドラフト2位ルーキーの則本昂大が新人としてはリーグ55年ぶりの開幕投手から始まり、田中が前年からの連勝記録を次々と更新していった。

そして9月26日、歓喜の瞬間がやってきた。マジック2で迎えた敵地での西武戦。

7回に逆転し1点リードの9回表、田中がマウンドに上がった。2死ながら2・3塁のピンチで4番の浅村栄斗(現:楽天イーグルス)。追い込んでからの5球目、153kmのストレートで三振に切ってとりゲームセット。球団史上初のリーグ優勝を決めた。CSも4勝1敗でロッテに勝ち、日本シリーズ進出を決めた。

松野は現地で興奮を一緒に味わうとともに、その後の準備が慌ただしく始まった。

「その先にあるものがいろんなイベントが多くあるのですが、初めてのことでしたから。いつ(優勝が)決まるか分からない状況でビールかけのスタンバイをしたり、日本シリーズというのも初めてなので、行う時はどういう環境でやらなきゃいけないのかも各所に聞きながらやっていました。

あとはパブリックビューイングを設けて東北をつなぐなど、優勝を皆さんで一緒にお祝いする準備もありました。お祝いムードを味わいつつ、目先にあるいろんな課題をこなしていきました」

優勝当時を振り返る松野氏

クライマックスシリーズも勝ち抜き開催された東北での日本シリーズ。

セ・リーグ覇者の巨人が相手となった。

本拠地は1勝1敗、東京ドームでの3連戦は2勝1敗と勝ち越し、大手をかけて仙台へ戻ってきた。

そして6戦目の先発は田中。ここまでポストシーズン含めシーズン26勝負けなしと、誰もがここで決まると信じて疑わなかった。しかし、2-4でまさかの敗戦となり逆大手をかけられる。

それでもナインにはショックはなかった。「また明日やるぞ」とすぐに気持ちを切り替えて第7戦に臨んだ。前日160球投げた田中もベンチ入り、まさに総力戦だった。

3−0で迎えた9回、ついにこの瞬間が訪れた。

マウンドは田中。投球練習の間、登場曲「あとひとつ」の大合唱が小雨の降る仙台の夜空にこだました。

球場外のパブリックビューイングや東北各地で画面越しにも声援が送られていた。

9回表2死1・2塁で代打・矢野謙次(現:北海道日本ハム ファーム打撃コーチ)。カウント1−2と追い込んだ4球目。外角スプリットを矢野のバットが空を切り、試合終了。東北の地に日本一のチャンピオンフラッグをもたらした。

「優勝した瞬間に”おめでとう”ではなく『ありがとう!』と言っていただいたのが印象的でした。あの日本一はイーグルスファンに加え、全国の方々からの『楽天がんばれ!』『東北がんばれ!』という応援の声を感じていました。鳥肌が立つような雰囲気を何度も感じ取ることもありましたし、なかなか味わえない経験をさせていただいたと思っています」

実はこのシーズン開幕前、星野監督からの言葉で忘れられない言葉があったという。

「2013年の開幕する前に監督がおっしゃっていたのですが

『選手みんなが被災者を思う優しさは十分に伝わっている。だけど、俺たちの本当の優しさは”強さ”を見せること。それが必要だ。子どもの頃には強いヒーローに憧れたと思う。俺たちは優しさだけじゃなくて強さを届けよう』

この言葉がすごく印象深く残っていて、1つの進むべき方向を指し示していただいたと思っています。”強さを示す”という意味で、一体感がチームにさらに浸透した言葉でした」

「東北の魅力を世界に発信していく」

2021年はあの日本一から8年、震災から10年になる。建物は復旧し、それぞれの街は活気を取り戻している。松野は今後、更なる取り組みが大事と考えている。

「ハード面の整備は、我々も訪問し自治体と関係を築く中で整備が進んできました。我々はこの後の取り組みとして、今後はソフト面の活性化が必要と思っています。ソフト面とは、ITの活用のみならず地域の魅力創出や活性化に向けてた活力や青少年の支援活動などもキーワードになると考えています」

震災の経験、これを風化をさせてはいけない。その想いは松野も強く感じている。

「イーグルスが復興に導く活力になった・前に進む過程でこういう出来事(2013年の日本一)があったことをポジティブなケースとして伝えていきたいです。我々も”がんばろう東北”というのを掲げていますので、その名のもとに東北の魅力を今後も世界や全国に発信していきたいと思っています」

球団はこの10年間、被災地の支援活動に力を入れて継続してきた。

2011年より”がんばろう東北”の名のもとに収益寄付事業を開始。寄付総額は2013年までで総額約6,900万円となった。

2014年からは”スポーツの力で子供たちを笑顔に!”をコンセプトに施設の寄贈事業「TOHOKU SMILE」プロジェクトを立ち上げ、総額が約3億1400万円ほど集まっている。

そのほかにも、被災地訪問活動の継続や球場への招待事業など多岐に渡り展開しており、今後も支援を続けていく。

最後に、イーグルスをどんなチームにしていきたいか。はっきりと述べた。

「明確に会社のビジョンがありまして、”日本一愛される球団になりたい”。それが全てです」

17年より現職の地域連携部に異動。東北全域に足を運び、試合やイベントを通じ自治体や商店街などとの接点を広げている。

チームが東北の文化観光の資源として根付き、そして東北のシンボルであり続けるためにこれからもイーグルスとともに歩んでいく。

(取材 / 文:白石怜平)

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