
松井秀喜氏のホームランに欠かせぬ要素とは? 都内で野球教室を開催
巨人やヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(50=ヤンキースGM付特別アドバイザー)が5月10日、都内で野球教室を開催し、恒例のホームランも披露した。約30人の子どもたちを相手にキャッチボールや打撃練習の指導をした後、両翼98㍍のフェンスを越えていく打球を放ち、参加者から拍手喝さいを受けていた。NPO法人「Matsui55 Baseball Foundation」の野球教室は通算34回目、日本では11回目の開催となった。(取材/記事/撮影:飯島智則)
11スイング目でフェンス越え
「おお、どうだ~!」
フリー打撃の11球目。快音を響かせた松井氏は、身をかがめて打球の行方を見守った。1、2、3、4、5秒。ボールがライト後方のフェンスを越えていくと、両手を高々と上げて、子どもたちの歓声にこたえた。
「年々、飛距離が出なくなっているのでどうかなと思っていたけど、出てよかったです。お子さんたちに見せてあげたい気持ちはあったので、それにこたえられました」
朝から大雨が降っており、野球教室は室内練習場で行われた。キャッチボールやゴロ捕の基本的な練習を行った後、松井氏は打撃練習のピッチャーを買って出て、約300球を投じた。
子どもの身長やスイングに合わせ、打ちやすそうなコース、スピードで投げていく。ここでは技術指導は一切しなかった。
「キャッチボールで気を付けること、ゴロの捕り方といった基本的な技術指導はしますけどね。バッティング練習では気持ちよく打ってほしい。いい当たりで終わらせてあげたいと、それだけを考えて投げています」

練習の終盤には小雨になったため、松井氏のフリー打撃は屋外グラウンドで決行となった。子どもたちから「ホームラン! ホームラン!」という声援を受けながら、期待にこたえてみせた。
昨年9月23日、イチロー氏の誘いで出場した高校野球女子選抜とのエキシビジョンマッチでは、東京ドームの右翼スタンドに放り込んだ。ここ数年は野球教室でホームランが出ないこともあったが、50歳を超えて、再び進化しているように見える。
「いや、試合とは違うんですよ。試合には、緊張感とか、相手投手のボールの速さとか、そういうのがありますからね。今日のように(フリー打撃の)ゆるいボールで打つのとは違う。お子さんたちに(ホームランを)見せてあげたいという気持ちはあるけど、緊張感はない。やっぱり、何万人のお客さんの前だとアドレナリンが出るから、自然と打球が飛ぶ。そういう意味で、緊張感は大事なんですよ」
そう言った後、報道陣の顔を見渡して付け加えた。
「記者の皆さんだって、やっぱり1面記事を書くとなると、アドレナリンが出るでしょう。そういうものなんですよ」
松井氏の口から「緊張感」という言葉を聞いたとき、私の脳裏には突然22年前の風景がよみがえってきた。彼が子どもたちと触れ合うシーンを見たことも、記憶を呼び覚ます一因になったのだろう。

「子どもの頃から何度も」
それは松井氏がヤンキースに入団した2003年、米国時間10月17日のことである。
この日はマーリンズとのワールドシリーズが始まる前日で、練習が終わった後、一塁側ベンチの中で松井氏のインタビューを行った。
大リーグの新人選手として、苦闘の末にたどり着いた最高峰の舞台。松井氏には特別な思いがあるだろう。質問する我々は、高ぶる気持ちを表す言葉を期待していた。
「目標にワールドシリーズを翌日に控えた、今のような心境を味わったことがありますか?」
これに対する松井氏の答えは次のようなものだった。
「こういう気持ちはね、今まで何度も味わってきている。それこそ子どものころから、何試合も何試合も、そういう試合をやってきているからね。そういう意味では、特別大きな違いはない。もちろん、場所は違うわけだけど、自分の気持ちに大きな違いはない」
私は驚いた。いや、彼の日ごろからの信条からすれば「いつもと同じようにプレーするだけ」という内容の答えは予想の範囲である。私が驚いたのは「子どもの頃から」という言葉が出てきたからだった。
プロとして、大リーガーとして、ワールドシリーズという最高峰の舞台に初めて臨む心境を問われて「子どもの頃から経験している」という答えが返ってくるとは思わなかった。

松井氏が子どもの頃の写真を見たことがある。ちょっとポッチャリした顔、右打席で構える貴重なショット、黒板の前で「ガオーッ」と叫んでいるような愛らしい1枚もあった。ピッチャーやキャッチャーの姿も目にしている。
そう、松井氏も最初から球史に残るホームラン打者だったわけではない。練習試合や地域の小さな大会で緊張した経験もあるだろう。その時々を全力で臨んでいるうちにステップアップしていき、石川県大会、北信越大会、甲子園大会…そしてプロ野球、大リーグと舞台が大きくなっていった。
ワールドシリーズは初めてであっても、「すべてをかけて臨む」と誓った試合、気持ちが高ぶり、緊張する中で試合をするのは初めてではない。子どもの頃から何度も繰り返してきた。常に、緊張感の中でホームランを放ってきた。
そういう意味だと、私は解釈した。
この日、松井氏が投げるボールを打つとき、きっと子どもたちは緊張したことだろう。「ナイスバッティング」と声をかけられて、天にも昇る気持ちだっただろう。
その経験、その思いが、ワールドシリーズやWBC…いや、野球に限らず、それぞれの夢の舞台につながっていくのだと思う。
◆飯島智則(いいじま・とものり)2025年からフリーのスポーツライター、大学教員の二刀流で活動を始めた。1993年に日刊スポーツ新聞社に入社し、主にプロ野球担当として横浜(現DeNA)巨人などを担当。2003年からは松井秀喜選手と共に渡米して大リーグを、帰国後は球界再編後の制度改革などを取材した。近年はDリーグに力を入れている。
著書「松井秀喜 メジャーにかがやく55番」「イップスは治る!」「横浜大洋ホエールズ マリンブルーの記憶」「メンタルに起因する運動障害 イップスの乗り越え方」(企画構成)。ベースボールマガジンでコラム「魂の野球活字学」を連載中。