視覚障害やり投げ日本代表候補・若生裕太がめざす東京の夢舞台。「目標は60メートル」11月の関東大会で内定奪取へ!
パラ陸上やり投げ(F12/視覚障害)の日本代表候補・日本記録保持者の若生裕太は、今年の4月に日本大学を卒業。甲子園を目指した野球児はいま陸上競技で東京パラリンピックを目指している。
新たなスタートを切った直後の新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大により大会史上初の延期となり、日本代表への切符を掴むための遠征先からも帰国した。やり投げ人生の序章は早くも調整を迫られることになった。今回、活動自粛のなかで11月の関東パラ陸上競技選手権大会に向かう若生の挑戦を追った。
自粛期間中はトレーニングに加え情報発信を行う
若生は、2年前の大学2年の時に「レーベル遺伝性視神経症」を発症し、中心の視力が0.01未満にまで下がってしまった。2018年にF12クラス(=パラリンピッククラスの弱視)でのやり投げを始め、翌2019年5月には当時の日本記録を更新する52メートル20をたたき出すなど、東京パラリンピックを目標に競技生活を送ってきた。
しかし、上述の通り今年の3月に東京2020パラリンピックが延期となることが発表された。4月、政府からは初の緊急事態宣言が発令されると、競技場やトレーニングジムなどが一斉に閉鎖された。
初めに、延期の一報を聞いた時の心境を訊ねてみた。競技を始めてわずか1年でありかつ当時22歳という若さの若生である。この1年はチャンスと捉えられるだろうか?とも思われたが、返ってきたのは意外な直球だった。
「最初聞いた時は本当にショックでした。2018年に競技を始めてからは2020年に向けて突っ走ってきたので!」一直線に東京へ迫ろうとしていたのだ。
元来何かを引きずるタイプではないという若生。周囲からの励ましの言葉もあり、1週間ほどで気持ちが切り替わっていったようだ。自粛期間を前向きに捉え、改めて自分を見つめ直す時間にも充てることができた。
「自粛期間は、『今の状況に向き合いながら何をすべきか』ということにフォーカスしました。この1年は自分の成長する時期と捉え、前向きになれました」
施設や競技場が使えない間は自宅で自重トレーニングを中心に行い、その他人出の少ない夜間に公園で懸垂をするなど、制限された中でも工夫を凝らした。宣言が明けた5月下旬からは徐々に実際のトラックでの練習を再開。9月、11月のIPC(国際パラリンピック 委員会)公式大会を目標に準備を重ねてきた。
また、同期間中にブログとYoutubeチャンネルを開設。ブログでは自身の経験や価値観などを綴り、Youtubeチャンネルでは、自宅でできるトレーニングなどを配信している。”パラアスリート 若生裕太”をより知ってもらうべく情報発信を絶やさない。
7月と9月には大会に出場
7月、自身にとって今年初の大会となった「第83回東京陸上競技選手権大会」に出場。
健常者に混ざって参加し、自己ベスト56メートル94の更新に向けて挑んだ。しかし、結果は49メートル95と満足いく記録を出せず悔しさが残った。
「自分の場合は野球の癖が出て、投げるときに体の開きが早くなってしまうのですが、東京選手権ではその悪い癖が出てしまいました」
野球の動きでは、右投げの場合はボールをリリースする際には左ひざを沈み込ませる。一方、やり投げの場合は上半身をメインに使い、肩甲骨から大きく体を伸ばしてリリースする。
回転の向きとして野球は横回転の動きを中心に下半身を連動させるのだが、やり投げは横回転だと体の開き(前面が早く前を向いてしまうこと)につながるため、野球とは対象的に縦の動きで前への推進力が必要になる。
7月の選手権大会では、久しぶりの実戦で気持ちが入りすぎてしまい、逆に空回りしてしまったのもあったという。取り直して、次の公式大会に向け、体の回転を課題にして修正に励んだ。
東京選手権から約1か月半後の9月に熊谷(埼玉県)で行われた「第31回日本パラ陸上競技選手権大会」に出場。2カ月の間で充実した練習ができたと手ごたえを感じていた。
「大会の2週間ほど前からきっかけをつかみ出して、さらにレベルを上げられた状態で迎えられました。試合前は緊張した部分もありましたが、プレー中は平常心を保って臨めました」
またしても記録は54メートル37(1投目)と自身のもつ日本記録には届かなかった。しかし収穫はあったという。
「今回の大会では、体を開かずに角度を押さえながら力を伝えるというポイントを押さえて投げることができたので、よくまとめることのできた試技だった。ただ、距離が伸びなかったのでそこは悔しかったですね」
次の大会は11月7日から国士舘大学多摩キャンパス(東京都)での関東パラ陸上競技選手権大会。パラリンピック代表への条件は、来年4月時点での世界ランク6位以内である。若生の世界ランキングは現在、男子F12クラスで3位だが、競技はF12とF13クラスのコンバインド(クラスが一つになること)で開催される。順位もコンバインドされるため現状3位ということであるが、今年はコロナで大会数が極端に少ないため昨年の世界ランキング8位を頭にいれておく必要がある。
残り少ないチャンスに、自己ベストを4メートル更新する60メートルを目標に設定した。関東大会では助走のスピード面に変化を加えることを課題に置いて準備してきた。
「去年と今年で助走のスピードや流れを変えました。去年までは助走でスピードを一気に出して後半失速を抑えるやり方でしたが、今年は助走を落として中盤から後半に加速して投げるようにしました。どちらのやり方で距離が伸びるのか、試しながらやっていきたいです」
東京に出場し、パリでは金を
アスリートとして、現在の目標は来年の東京パラリンピック出場。今まで支えてくれた家族や応援してくれる方たちに向けて、その想いを全身で表したいと語った。
「東京では心から楽しんでいる姿を見せることで、応援してくれた皆さんに自分の勇気と笑顔を届けたいです。その姿を見て、『若生頑張っているな』と感じて元気をもってほしい」
まずは東京だが、その先に若生はパリを見据えていた。そして、そこでは、一番輝く色のメダルを獲りたいと意気込んだ。
「パリは金メダルを目指していきます。選手としてのピークをここ(パリ大会)に持っていくためにも東京へ出場し、競技レベルを高めていきたいです」
約1時間のオンラインインタビューでは、元野球部らしく腹から出る力強い声で時折笑顔を交えながら質問に快く答えてくれた。
画面からでも伝わるこの明るさと爽やかさが、国立競技場の晴れの舞台でも見れる瞬間は決して夢ではないと感じさせていた。
(記事・白石怜平 編集・佐々木延江)
※この記事は、パラスポーツメディア「Paraphoto」にて2020年10月30日に掲載されたものです