
「みんなを活かすためにどう動くかを考えた」元サッカー日本代表 鈴木啓太 浦和レッズ入団からの苦労とオフト監督の教えとは?〜連載企画第1回〜
大きな学びとなったオフト監督の教え
鈴木もフルシーズンでの活躍が期待された3年目の02年。この年から就任したのが、93年のワールドカップアジア最終予選、あの”ドーハの悲劇”で日本代表の指揮を執っていたハンス・オフト監督である。
鈴木には、オフト監督からどんな教えがあったのかを尋ねた。
「サッカーの基本です。ポジションを正確にとるなど、もちろん動き回ることは大事なのですが、自分だけ動き回っても意味はないということで、チームをオーケストラに例えてくれました。
監督は指揮者で、『オーケストラはみんなと息が合っていることが必要だし、バイオリンが前に出ることもあれば、フルートが出るパートなどそれぞれの役割がある。そこが揃って初めていい試合ができる』と。
あと、チームとしての連動ではアコーディオン。伸び縮みするけども、伸びきっちゃいけないというように、調和を大事にされていました」
オフト監督が指揮を執った2年間(〜03年)、チームは02年こそ年間11位だったが、03年は6位と大きく順位を上げた。
この時期を改めて振り返った。
「エメルソンや田中達也、永井(雄一郎)といったFW陣が当時いたので、みんなを活かすためにどう動くべきかは常に考えていました。
オフト監督の教えはロジカルで分かりやすかったです。ただ、(監督の教えを)理解し始めたところで代わってしまったので、もう1年やりたかったなと思いましたね」
鈴木も出場試合数を02年は26、03年は29と伸ばし不動のMFとして定着。04年のアテネ五輪出場に向けたU-23日本代表にも選出され、さらに飛躍していった。
(つづく)