千葉ドリームスター 「第23回全日本身体障害者野球選手権大会」初出場。発足10年で手にした夢舞台の記録(後編)

ドリームスターの初戦の相手は仙台福祉メイツ(北海道・東北代表)。

春の選抜でも過去に対戦がなく、今回初の顔合わせとなった。試合前、小笠原監督自らナインに「ドリームスターの野球は何か?」と問いかけた。

「それは”明るく楽しく”。それを忘れずにやっていこう」と投げかけ、この大会で主将を務めた土屋も円陣の真ん中に入り鼓舞した。

試合前の円陣で士気を高めた

そして11時40分にプレーボール。大会はトーナメント方式で試合時間は100分制。同点の場合はスタメン9人同士によるじゃんけんでタイブレークを行う。

ルールは身体障害者野球のルールにて実施。バント・盗塁・振り逃げは禁止。加えて、主に下肢障害の選手が打席に立つ際は、打者が打ったら代わりに走者として走る「打者代走制度」を用いる。

先発はエース・山岸英樹。17年から3年間、関東甲信越大会の決勝の先発を務めており、選手権大会の初戦先発という大役を担った。

山岸は小学校6年生のとき、てんかん手術の後遺症による左半身麻痺の障害がある。そから地道にリハビリを重ね、17年からドリームスターでプレー。

初戦先発の山岸英樹

今春からはパラ陸上(走幅跳・やり投)にも挑戦する競技の”二刀流”でもある。23年にパリで行われるパラリンピック出場を目標に、トレーニングを重ねている。

山岸は初回を無失点に抑え、上々の立ち上がりを見せる。試合はその後両軍、緊張からか重々しい空気が流れる中で2回裏に試合は思わぬ方向に。

2死1・3塁。9番の打席時に捕手からの牽制で3塁走者がその間ホームへ生還した。しかし、ドリームスターは遊撃がダイレクト捕球したため「ボールデッド」とアピール。仙台からはインプレーではないかと主張し試合は中断。

両チーム・審判団による協議で収まらず連盟も加わること約20分。走者が帰塁していなかったことから盗塁=ホームインは無効との判断となり再度2死1・3塁から再開し、山岸が後続を断ちしのいだ。

両チーム、審判、連盟の4者で協議。試合は約20分中断した

しかし、その後3回に先制を許してしまう。

時間も終盤に差し掛かる中、重い1点がのしかかり4回も両軍無得点で迎えた最終回。ドリームスターは5回表の攻撃に全てを懸ける。

1死後に1番の土屋が死球で出塁。ベンチからは同点を期待し、活気が戻っていく。続く三ゴロで一塁へと送球が放たれた瞬間、進塁した土屋が猛然と三塁へ滑り込む。

ただ、勝敗を決する場面で必ず何かが起こる。送球が逸れさらに跳ね返ったボールは三塁手のグラブへ一直線。

捕手へと送球され土屋と相対した。これで万事休すかと思われたが、ここから土屋は目の前に立ちはだかる捕手をかいくぐり頭から飛び込んだ。

左手で本塁に触れ、球審の両手が横に広がった。ベンチは総出でこの試合の主将を迎えた。そして裏を0点で抑えここで規定の100分に。1−1と同点のため規定によりジャンケンによるタイブレーク。

ここでも最後までもつれ4勝4敗で9人目に。しかし、最後に敗れてしまい野球では引き分けながらも初戦で涙を飲んだ。

ドリームスターは翌日の初戦、5位決定戦に回ることになった。

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