千葉ドリームスター 「第23回全日本身体障害者野球選手権大会」初出場。発足10年で手にした夢舞台への記録(前編)

約2年間、感染者を出さずに活動を継続

そんな20年の春、新型コロナウイルスが世界中で猛威をふるう。緊急事態宣言が発令され、グラウンドも閉鎖し活動中断を余儀なくされた。

5月下旬に宣言は解除され、6月から徐々に練習を再開し、以降は活動を止めずに継続してきた。

ただ、例年行われる全国大会や地域大会はすべて中止。そんな中でも市川市を中心に、グラウンドが開放されている時は県内外問わずスタッフや選手で確保し合い、練習や試合を行った。

練習中でもマスクを着用し消毒液を常備するなど、選手個々が感染対策を徹底。この約2年、1人の感染者も出さずに過ごしてきた。

上述の通り公式戦が中止になり、真剣勝負の場がシーズンで1試合も行われない現状から、1人の男が立ち上がった。秋には「身体障害者野球を盛り上げたい!」と、チームのGM補佐を務めGM公認のモノマネ小道具芸人 小笠原”ミニ”大氏である。

近隣の身体障害者野球チームが市川に集まり、冠大会を主催した。地元TV局やメディアでも取り上げられるなど話題性も呼び、2020年を締めくくった。

昨年の第1回「小笠原ミニ大杯」は大盛況だった

今シーズンは健常者リーグに初参戦

迎えた2021年、首都圏においても緊急事態宣言やまん延防止策が年明けから秋まで続いた。ただ、それでも歩みを止めることはなかった。

今シーズンから、県内の健常者チームの野球リーグに初参加を果たす。

チーム最年少ながら副主将を務め、攻守の要を担う土屋来夢の父である土屋純一ヘッドコーチがかねてから抱いていた構想が実現した。

「いろいろなチームに連絡をしてもずっと断られていた」と語る土屋ヘッドの熱い想いが実った。

身体障害者野球ではバントや盗塁は本来禁止であるが、リーグの規定に倣い通常の野球のルールで試合に臨んでいる。そこでも勝率5割と互角の試合をしており、継続してきた練習の成果が徐々に出ている。

健常者チーム相手でも互角の勝負をしている

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