身体障がい者野球チーム「千葉ドリームスター」の成り立ち(前編)

―募集を始めてから、選手はどのようにして集まってきたのですか?

笹川 最初はなかなか集まらず苦労したのですが、2011年にジェイコムニュースを見た読売新聞さんが紙面に掲載してくれたのをきっかけに、応募者が徐々に増えてきました。
今主将を務める中䑓陵大選手や、設立当初から主将を務めていた土屋大輔選手などは紙面を見て応募してくれた選手です。

2011年2月25日の読売新聞記事。この紙面をきっかけに選手が集まってきた。

連盟登録まで5年、地道な活動を継続

ー集まった当初はどんな練習をしていたのですか?

笹川 インターネットで選手募集の記事を見てくれた同じ障がい者野球チーム「東京ブルーサンダース」の方々が「千葉でチームを立ち上げるのなら私達も手伝いましょう」と初練習に駆けつけてくれました。
野球未経験の方も多くいましたので、キャッチボールやゴロ捕球といった投げ方・捕り方・打ち方など、障がい者野球を一から指導していただきました。そこから、日本障害者野球連盟への登録を目指して地道に練習を続けました。

―連盟に加盟したのはいつですか?

笹川 連盟に登録する条件として選手が最低12人必要なのですが、それが集まったのが2014年。2011年にチームとして本格的に動き始めてから3年、発足から5年かかりました。今はもう足掛け10年ぐらいになりましたね。

―2010年には大会視察に行ったとのことですが、そこではどんなお話が聞けましたか?

笹川 あるチームの代表の方が「形になるには5年くらいかかる」と仰っていました。別の方からは「地元で大会の開催ができるまで粘れ」と。地元で開催ができれば一気に選手が増えるからということで粘り強く活動は続けていました。

それで2015年頃ですかね、選手がどんどん増えてきました。2017年には1日3試合戦える人数が集まり、念願の地元開催が実現しました。そこで初めて決勝戦に進めたので何とか軌道に乗ってきたかなと。もう地道ですよ本当に。監督・コーチ、スタッフなどたくさんの方の協力があって。

2017年には地元で初めて公式戦を開催し、大会準優勝を成し遂げた。

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