ローイング代表候補 山岸英樹のパラリンピック挑戦「東京大会以降も挑戦し続けたい」

ローイング代表候補 山岸英樹のパラリンピック挑戦「東京大会以降も挑戦し続けたい」

バーベルを挙げる表情と大粒の汗から、決意が伝わってくる。2020年8月に開催される東京パラリンピックの種目であるパラローイング。(以下、ボート)その日本代表入りを目指すためにトレーニングを重ねる1人のパラアスリートがいる。

山岸英樹。石川県出身の31歳は身体障がい者野球チーム「千葉ドリームスター」のエースでありながら、ボートでパラリンピックを目指す“二刀流”である。

小学6年時、脳梗塞で左半身まひに

小学4年時、発作で何度も倒れた。てんかん(※)と診断された。当時まだ10歳だったため、メスを入れずに投薬治療を始めた。しかし、体が薬に慣れてしまい発作は治まらなかった。そのため親と医者で話し合い、小学6年生の2月14日に手術を行った。

手術から目が覚めると体に異変が起きた。左半身が動かなくなった。後に分かったことであるのだが、実は血管が詰まり脳梗塞が起こっていた。触られても感覚がない。自力で寝返りもできない。

「人生が終わったと思いました」

小学6年生には残酷すぎる現実が襲った。車いすの状態から歩行訓練から始まり、空いた時間も自分で体を動かすなどして回復に向けてリハビリを続けた。術後3カ月には野球部に合流し、中学では野球をすることができた。しかし高校では現状の体で練習についていくことに限界を感じ、夏に退部した。

野球を離れてからは、中学1年の夏からリハビリを兼ねて通っていた地元のジムでトレーニングを続けた。高校卒業後は東京のスポーツ専門学校に進学。体の動きなどの研究を重ね、スポーツトレーナーを目指した。

(※)突然意識を失って反応がなくなる発作をくりかえす病気。年齢層関係なく発病する可能性があり、患者数も日本全体で100万人近くいると言われている

パラリンピック出場を目標に

その後スポーツインストラクターやライフセーバーを経て、現在はスポーツメーカーの営業職に就いている。17年には身体障がい者野球チームの市川ドリームスター(現:千葉ドリームスター)に入団し、大好きな野球を再開した。

競技者として復帰し、大きな目標が芽生えた。”東京パラリンピック出場”である。
18年11月、住んでいる区役所のスポーツ振興課に足を運び問い合わせた。担当者から「東京都パラリンピック選手発掘プログラム」を紹介された。12月に陸上競技のプログラムが行われるとのことで見学に行った。

スタンドで様子を観ていると、競技関係者たちが集まってきた。178cm、83kgという体格の良さからスタンドで目立っていたのだという。フィールドに呼ばれ、陸上と自転車の関係者からスカウトを受けた。しかし、翌年2月に体力測定があるためそこで判断したいという旨を伝えその場を後にした。

学生時代からトレーニングを続けている。身体の回復も早まったという

未経験で強化指定選手に迫るタイム

2月3日、東京・品川の日本財団パラアリーナで行われた同プロジェクトの体力測定に参加した。そこで総合評価Aの結果をマークした。

希望種目を3種目選択できるため、自転車・投てき・ボートを選んだ。自転車は前年12月のプロジェクトで熱心に誘われたこと、投てきは野球の動作に近いことが理由だった。残りの1種目、ボートはその場でタイムを計れたため、500メートルのタイムを計測した。

すると表示されたタイムは1分40秒台。強化指定選手の条件(※)は平均1分45秒であるため、それに迫る数値を初めてでたたき出した。この日はボートの協会関係者や視覚障がいの強化指定選手が練習を休んで2名来ていた。計測を見た瞬間、囲まれた。

「肢体障がいの有力候補者が少なく、今から始めても間に合うからぜひ来てほしい」

3種目の中で日本代表になる可能性が最も高い競技を考え、最終的にボートを選択した。

国内1位通過し、目指すは世界大会へ

翌19年2月末から開始し、4月30日には育成指定選手の条件をクリアした。7月に正式に協会から認定され、調整を経て9月にチームに合流した。

現在は、ナショナルトレーニングセンターやパラアリーナなど計4か所でトレーニングを重ねている。ローイングエルゴメーターという漕力を鍛えるマシンとウエイトトレーニングが中心である。

「ローイングエルゴメーターを使ったトレーニングは、主に協会がメニューを組んでいます。ウエイトトレーニングはサーキット形式でやっています。1分間3セットを10種目以上、筋持久力を上げることが目的です。あとは毎週末相模湖で強化練習があります」

日本が出場するには、5月にイタリアで行われる世界最終予選で出場国の2枠をかけて上位2位に入る必要がある。

11月1日時点では2000メートルを7分13秒で男子肢体障がいで国内トップ、20年1月に国内で行われた最終選考の1次審査ではさらに7分9秒まで更新し、こちらも1位通過を果たした。出場枠を得るためにもさらなるタイム短縮が必要となる。

相模湖合宿の様子(写真中央:本人提供)

パリ、そしてロサンゼルスへ

もちろん東京がゴールではない。パラリンピック選手はオリンピック選手と比べて競技寿命が長い傾向にある。ボートでも50歳を過ぎても現役の選手もいる。自身も2024年のパリ、その先のロサンゼルス大会を見据えている。

「次の大会以降も行けるところまで行きたいですね。パラアスリートでは、競技を変えながらやっている人も多いんです。自分はボートを続けるという選択肢に加え、自転車か投てきにも挑戦したいと考えています」

東京パラリンピック、そしてその先へ。夢の実現のために今も毎日汗を流し続けている。

(取材 / 文:白石怜平)

※本記事は2020年2月19日にスポーツメディア「Spportunity」で掲載されたものです。

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