元プロ野球選手・喜田剛が振り返る10年間の現役生活 ファームでは2年連続2冠に輝くも「辛く、悔しい」鍛錬の日々
ウエスタン・リーグでは2年連続2冠王に
「タイガースでは、自分と向き合ってしっかり野球に取り組めたのが大きかったです」
1軍の高い壁に阻まれながらも1年目からファームで活躍を続けていた喜田は、いつ来るか分からないチャンスに備え鳴尾浜でその牙を研いでいた。
「朝から晩まで毎日練習していました。午前中練習して、昼に試合があって終わると17時半頃まで特打特守。18時からの食事後30分から夜間練習があって大体20時までやっていましたね」
ファームの本拠地のある鳴尾浜は甲子園球場からバスで約25分ほどの距離に位置し、周辺は海に面した工業地帯。飲食店もほとんどなく、野球だけに集中できる環境だったという。
「寮の門限が22時半なので、残りの1時間くらいはチームメートと一緒にコンビニに行って大人買いするのが唯一とも言える楽しみでした(笑)」
日々の猛練習に耐え、さらに実力をつけた喜田は05年にウエスタン・リーグで打率.303・21本塁打・55打点、06年も打率.278・14本塁打・56打点と2年連続でリーグ2冠王を獲得した。
特に本塁打・打点・安打・得点がリーグ最多を記録するなど2軍では無双状態となり、あとは1軍からの声が掛かるのを待つのみだった。
ただ、ファームではタイトルを獲得するほどの結果を残しても1軍昇格のチャンスは一向に巡ってこない。
リーグ優勝した05年の外野陣は左翼・金本、中堅・赤星が不動のレギュラー、右翼も桧山と助っ人のシェーン・スペンサーが併用で守った。06年には濱中が復帰し、右翼のレギュラーを奪取。この年3割・20本塁打を打つなどキャリアハイの成績を残していた。
「(06年当時は)今では笑い話ですが、『逆にタイトルを取らせないでほしい』と思ってましたから(笑)。当時は松田選手(福岡ソフトバンクホークス)と歳が近いのもあり2軍で切磋琢磨していました。
マッチ(松田)は打てば1軍に上がっていましたし、T-岡田選手(オリックス・バファローズ)もいたのですが、やはり打つと1軍に上がるのでライバルがいなくなっていくんですよ。自分だけが2軍戦で出場し続けていたのでタイトルを獲得できたのだと思います」
そして翌07年、埋もれていた才能が開花する転機がやってくる。
(つづく)