ブルーウェーブ日本一から25年、色あせない”がんばろうKOBE”の記憶 鈴木平氏「壊れるか壊れないかの勝負だった」

ブルーウェーブ日本一から25年、色あせない”がんばろうKOBE”の記憶 鈴木平氏「壊れるか壊れないかの勝負だった」

1995年、阪神淡路大震災があったこの年、オリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)はパ・リーグ優勝を果たした。翌96年はリーグ連覇そして日本一を達成した。

被災した神戸市民に勇気と感動を与えた優勝として、今も後世に語り継がれている。

2021年は日本一達成してから25年が経ち、改めてこの2年間を振り返る企画。後編は、96年の日本シリーズで胴上げ投手となった鈴木平氏に当時のエピソードを交えて話を伺った。

(取材協力:オリックス野球クラブ、以降敬称略)

震災当日、寮で大きな揺れを感じた

震災当日、鈴木は寮にいた。翌日からキャンプ地の沖縄・宮古島で合同自主トレに参加する予定だった。

当日朝6時台に出発するため身支度をしていたところ、突然大きな揺れに襲われた。当時神戸市西区にあった寮「青濤館」は、中心地ほどの被害は受けなかった。ただ、それでも普段感じる揺れとは比べ物にならない大きさだった。

テレビを点けたら中心地の惨状が映し出されていた。その映像も途切れ、部屋から窓を開けると遥か先で煙が舞っているのが見えた。合同自主トレは中止となり、安全のため寮からは出ずに施設でトレーニングを続けた。

キャンプ前日に宮古島入り。いざ練習が始まれば野球に集中するものの、被災地の状況も頭からは離れなかった。それと同時に、「今自分たちは野球をやっていていいのか」「シーズンは開幕できるのか」ブルーウェーブナインはそんな不安とも戦っていた。

神戸以外での開催も検討していた中、宮内義彦オーナーの「一人も来なくてもいいから、スケジュール通り絶対、神戸でやれ」という熱い想いが動かし、オープン戦から本拠地神戸で試合を行った。

鈴木も順調にアピールを重ね、開幕1軍入り。4月1日の開幕戦。グリーンスタジアム神戸(現:ほっともっとフィールド神戸)には3万人のファンが駆けつけた。

ナイン全員が「今年は優勝しないといけない」その気持ちで1つになった。

95年、セットアッパーとしてフル回転

「がんばろうKOBE」をユニホームの袖に入れて臨んだ特別なシーズン。鈴木は抑えの平井正史につなぐ右のセットアッパーとして、開幕からフル回転した。前年2試合の登板に終わった悔しさと危機感から無心で腕を振り続けた。

「もうどんな場面でも使ってもらえればという気持ちで、壊れるか壊れないかの勝負。もし壊れたら仕方ない。そんな年でしたね」

チームも開幕から徐々に調子を上げ、6月から一気に突き進んだ。7月にはマジックが点灯させるなど、中盤から首位を独走。プレーしながら”何か不思議な力”を感じていた。

「(引き分け挟んで)4連勝の後、1敗してまた6連勝とかまぁ負けなかったですから。『何だかすごいよね?』っていう話を田口(壮)ともしていたんですよ。投手陣の間でも星野(伸之)さんや野田(浩司)さんと『こんなことあるんですか?』って(笑)」

しかし、優勝が目前になったところで思わぬ足踏みをしてしまう。

マジック1で迎えた9月14日からのホーム4連戦でまさかの4連敗。周囲からの”神戸で優勝”という期待が日に日に高まり、プレッシャーとなってナインを襲った。

「4連戦終えた後は、独走してるのにものすごく負けてたような印象になりましたね。神戸の皆様に本当に悪いことをしてしまった気持ちでした」

切り替えて臨んだ19日、敵地での西武戦。鈴木もイニングの途中から登板するなど2回2/3を投げた。そして最後は平井が締め、ブルーウェーブはリーグ優勝を決めた。

「まずはリーグ優勝して、とにかく神戸の市民に喜んでもらいたい一心でしたので、ほっとした気持ちとまずやり切った気持ちと両方でした。野球の神様が見てくれていたんだなと」

日本シリーズの相手は前年まで在籍していたヤクルト。意識しないはずがなかった。

「ヒット1本も打たせないという思いで臨みましたよ」

古巣ヤクルト相手の日本シリーズでは無失点と好投した(写真:本人提供)

その言葉通り、3試合に登板してヒット1本も許さなかった。新天地で輝いている姿を見せる恩返しの投球だった。しかし、チームは1勝しかできず敗退した。

「悔しかったですし、やはり日本シリーズに勝たないとダメなんだと目の前で胴上げを見て感じましたね」

95年は鈴木としても大きく飛躍した年になった。50試合に登板し、防御率1.83と大車輪の活躍だった。

96年日本一、そして胴上げ投手に

96年、神戸での胴上げに向けた挑戦が始まった。

開幕時はセットアッパーでスタートしたが、平井の不調により途中からクローザーを務めることになった。

チームは前年の独走とは逆に、夏場まで日本ハムを追いかける立場に。5月から徐々にゲーム差が広がっていき、7月終了時には4ゲーム離れた。それでも焦りなどはなかったという。

「優勝を経験しているのがものすごく大きかったです。『神戸のファンの前で優勝を』という気持ちももちろんありましたし、自分たちも力つけたという自信があったわけですからマイナス要素がなかったです」

地力のついていたチームは8月からの2ヶ月で貯金16と加速した。その間に首位の座も奪い返す。そして9月23日、マジック1としたブルーウェーブは神戸で日本ハムとの試合に臨んだ。

前年逃した地元での胴上げを期待し、約4万人の観衆が詰めかけた。試合は追いつ追われつの展開だったが、7回に2点を勝ち越し再逆転した。

「地元神戸で胴上げができる」

誰もが確信に近い思いを持ち、残すは2イニング。だが簡単には行かなかった。8回表、2点リードの2死満塁で4番・田中幸雄という大ピンチ。ここで鈴木がマウンドに上がった。

田中が振り抜いた打球は無情にも左中間に。走者一掃のタイムリーとなり、終盤で三度目の逆転を許してしまった。

「本当に申し訳ない気持ちでした。『うわぁ…大変なことをやってしまった』と」

1点ビハインドのまま9回裏2アウト。ここからが奇跡の始まりだった。代打で登場したD・J(ダグ・ジェニングス)がライトへ本塁打を放ち試合は振り出しに戻る。

延長戦に入り、10回表を金田政彦が0点に抑えるとその裏にドラマが待っていた。

先頭の大島公一が安打で出塁すると打席は3番・イチロー。

球場全体が包む”イチロー”の大声援の中、2球目外角の球を流しレフト線へ。1塁走者の大島は一気にホームインしサヨナラでの優勝決定となった。若きスーパースターが2塁付近で飛び上がって喜ぶシーンは今も貴重な1コマとして多くのファンに印象付けられている。

神戸での胴上げを達成し、最後の目標は日本一。

実はこの年、鈴木はセーブ王のタイトルを獲れる可能性があった。当時の山田久志投手コーチと相談の上、優勝決定後にファームで調整しシリーズに備えた。

「山田コーチに『このまま行ったらセーブ王取れるかもしれないけどどうする?』って言われたんですよ。でも『日本一になりたいのでセーブ王はいいです』と言って登録抹消させてもらいました。とにかく日本シリーズに勝ちたい思いが強かったので」

セーブ王は譲ったものの、前年を上回る自己最多の55試合登板、7勝2敗19セーブとブルペン陣の柱として活躍した。

この年の日本シリーズの相手は最大11.5ゲーム差を逆転した「メークドラマ」の巨人。

鈴木は一度ファームで調整したもの、体は満身創痍だった。初戦の9回に同点2ランを浴び、翌第2戦後には脇腹を痛めてしまった。ブロック注射を打ちながら残り試合に臨んでいた。

チームは初戦から3連勝で大手をかける。第4戦は落とすも第5戦、ついに歓喜の瞬間は訪れた。鈴木は3点リードの8回から登板。この試合が最後と思い、目一杯腕を振った。

9回2アウト、内野席も総立ちで見守る中で相手打者・仁志敏久に投じた2球目はレフトライナーに。胴上げ投手として最後を締めくくった。

神戸市民と共に戦い日本一を達成した©ORIX Buffaloes

その時の心境を思い出しながらこう語った。

「もう疲れ切っていましたね。『ようやく解放される』感じでした。当時の優勝の映像を見ると後ろの方にいますよ。それだけ責任を感じてやってきたんだと思います」

鈴木は第4戦以外の4試合に登板した。「いずれも落合(博満)さんからのスタートだったんですよ(笑)」というまさにタフな場面での出番だった。

余談だが、この時イチローとの縁を語ってくれた。

「実は僕が打たれた後ってイチローがよく打ってくれていたんですよ。優勝決まった試合もそうじゃないですか?日本シリーズ初戦も大森(剛)さんに同点2ラン打たれた直後にイチローが決勝ホームラン打って。なので僕が打たれるとイチローがちゃんと返してくれていたんですよ(笑)」

花は咲き時、咲かせ時

この2年間を振り返り、鈴木は「大満足でした」と語った。移籍当初、仰木監督からこんな言葉をかけられていたという。

「三原(脩)さんの言葉があって、『花は咲き時、咲かせ時だぞ』と。”お前は今年花が咲かなきゃダメなんだぞ。だから潰れるかどうかわからないけども使うよ”と。『普通に3連戦行くぞ』て言ってましたから。3連戦の前に『平、3つ行くから』って(笑)」

当時のオリックス・ブルーウェーブのユニホーム(タイラ治療院Instagramより)

95年はヤクルトから移籍して1年目。”今年やらないとクビになる”という危機感もあった。チームのために犠牲になる気持ちで投げ抜いた。

その後、中日・ダイエー(現:ソフトバンク)を経て2002年に引退。鍼灸師を目指して専門学校で3年間学び、現在は故郷の静岡県磐田市で「タイラ治療院」を運営している。

離れていても神戸への愛着はずっと持ち続けている。

「引退後、神戸の専門学校に通っていたんです。知り合いも神戸に一番いますし、何より”プロ野球選手・鈴木平”をつくってくれた街です」

今シーズンからは優勝時の正捕手だった中嶋聡が代行から正式に監督として指揮を執る。その他田口壮、小林宏、平井正史と当時の主力が首脳陣として支え、96年以来の日本一を目指す。

日本一の味を知るメンバーたちが、今年どんな野球を魅せてくれるのか。ファン・そして共に戦ったOBたちも熱い視線を送っている。

(取材 / 文:白石怜平)

※本記事は2021年1月22日にスポーツメディア「Spportunity」で掲載されたものです。

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