元西武・髙木大成 「波乱万丈でした」10年間のプロ生活で味わった栄光と挫折〜著書出版記念特別インタビュー第1回〜
00年以降、怪我との闘いに
髙木が感じていた諸々の不安は現実味を帯びていった。00年はトニー・フェルナンデス、レジー・ジェファーソンというメジャーで実績のある外国人選手が入団。さらに01年にはアレックス・カブレラ、スコット・マクレーンの”ツインバズーカ”が加入し、一塁は自身がリスクと語った通り外国人の大砲が守った。
一方、髙木は出場機会を増やすため00年から外野手へ挑戦するものの、身体は悲鳴をあげる。左膝や右手首・右腕など続けて故障し戦線離脱を繰り返す。出場数も02年には36試合に留まるなど我慢の日々が続いた。
03年には5月に4試合連続本塁打を放ち、復活の兆しを見せるもオフに右腕を3箇所手術。04年はリハビリに専念し一軍に上がることはなかった。 05年に復帰するも13試合の出場に留まり、戦力外通告を受けた。
後半は怪我との闘いだった。当時の心境を語った。
「もう焦るばかりでしたね。今考えれば1年棒に振ってでも休めばよかったのかなと思う時もあるんですけれども…1軍に呼ばれたら辛くても呼ばれることが喜びなので『行きます』と無理して出ていましたから」
著書にも少年時代から鍼治療に行くなど「身体は強くなかった」と記されている。野球を始めてから辞めるまでずっと向き合っていた課題だった。
「昔から身体は強くないと分かっていたので、ウェイトトレーニングをしたり、1年目から治療を受けたりして何とかやっていました。トレーナーさんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです」
”波乱万丈”のプロ野球人生
髙木の10年に亘るプロ野球生活は、前半は主力として活躍しチームを優勝に導く一方で後半は故障に苦しんだ。栄光も挫折も両方味わってきたのだ。
髙木にとってどんなプロ生活だったか。「波乱万丈でした」と答え、こう続けた。
「オールスターも出場できて、ゴールデングラブ賞もいただくなど『プロ野球選手になれて良かった』と思えた3年間があり、その後は苦しい、辛いリハビリ生活があり。濃い10年間でしたね。
優勝を経験できましたし、日本シリーズは負けましたけれどもホームランも打てましたから、(プロ野球選手としての)幸せを感じることができたと思います」
ただ、05年オフに戦力外通告を受けた時、現役を続けるか否か。その葛藤があった。
(第2回へつづく)
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