元西武・髙木大成 「波乱万丈でした」10年間のプロ生活で味わった栄光と挫折〜著書出版記念特別インタビュー第1回〜
”ファーストは髙木に”そう思わせるプレーを意識
それでも常時試合に出るために、自ら掴みにいったポジション。外国人選手にはない”自分ならでは”のできることを磨いていった。
「まずエラーをしない。形関係なく何でもいいから捕る。それと外国人にはないプレーをする。例えばバント処理でセカンドアウトを取りに行くことも積極的にやりましたし、牽制アウトをいかに取るかもそうです。
とにかく毎試合出ることのありがたみを感じながらやってましたし、日本人のファーストとして体も大きくない中で、『ファーストは髙木に守らせたほうがいいよね』と思ってもらえるようプレーしていました」
DHから一塁という大きな変更がありながらも影響を感じさせず、打線の中軸を担った。チームも前年まで連覇しているオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)との争いを制し、94年以来のリーグ優勝を果たした。※日本シリーズでは野村克也監督率いるヤクルトに1勝4敗
シーズンのチーム盗塁数は200をも数える。特に松井稼頭央(62盗塁)・大友進(31盗塁)、そして髙木(24盗塁)の上位3人で計117盗塁を記録するなど機動力が大きな武器となった。
髙木はこの年、130試合に出場し打率.295・7本塁打・64打点。オールスターに初出場を果たし、シーズン中のコンバートながら一塁手としてゴールデングラブ賞も受賞するなど大きく飛躍した。
翌98年も、不動の3番・一塁としてリーグ連覇に貢献。前年を上回る134試合に出場し、打率.276ながら17本塁打、84打点をマーク。横浜(現:DeNA)ベイスターズとの日本シリーズでは初戦に本塁打も放った。そして2年連続オールスター出場・ゴールデングラブ賞受賞というさらに充実した年になった。
翌99年はキャンプ中に右足首靱帯断裂という大怪我に見舞われながらも5月に復帰。中盤からは5番を打ち、3年連続でオールスター出場を果たした。
最盛期と言える2年間、「毎日緊張感のある試合が続いていましたが、優勝争いができることを楽しんでいました。特に97年はチームが200盗塁して自分もその一員でしたので、充実していました」と振り返った。しかし、こう続ける。
「その反面、身体はどんどん壊れていく。それだけ出続けられる身体を持っていなかったのです」
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