元西武・髙木大成 「波乱万丈でした」10年間のプロ生活で味わった栄光と挫折〜著書出版記念特別インタビュー第1回〜
「2ストライク取られた後にどれだけ対応できるか」試行錯誤の1年目
憧れのライオンズブルーのユニフォームに袖を通し、始まった1年目の春季キャンプ。桐蔭学園時代は甲子園を湧かせたスラッガーとして名を馳せ、慶應義塾大学時代は当時の東京六大学の通算最多二塁打数27をマークするなど、その打撃も魅力であった。
しかしキャンプではプロのスピードや変化球のキレなど、レベルの違いを感じた。キャンプに初日にまずバッティングピッチャーの球ですらケージから出なかったという。
「そんなところから始まったので『あれ?』って。なので、ボールまでのコンタクトをいかに速くするかを考えていました。と言っても判断を速くしてしまうと変化球に対応できない。ボールとバットを最短距離で捉える、判断をギリギリまで見極めていかに速くコンタクトするかを徹底して練習しました」
自身で考え工夫を凝らしつつ、当時の土井正博 一軍打撃コーチからもアドバイスを受けながら適応していった。
「基本的な打撃フォームは変えなかったですが、一番は『2ストライク取られた後にどれだけ対応できるか』なんですよ。変化球待ちでストレートをファールにするために、追い込まれたらノーステップに切り替えたりもしました。
当時土井さんが打撃コーチで、オープン戦の間だけは『2ストライクまでバットを出さない』というのを実践しました」
こうした取り組みが徐々に実り、常勝軍団の中でルーキーかつ捕手の重責を務めながら80試合に出場。打率.278の成績を残し、翌年の更なる飛躍につなげた。
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