
和田一浩と渡辺俊介が初共演! 好敵手同士の2人が紐解いた現役時代の答え合わせ
7月4日、東京都内で「日本プロ野球OBクラブ ~MEMORY COLLECTION~」の最新回が開催された。
今回登場したのは、西武ライオンズと中日ドラゴンズの2球団で通算2050安打を放った和田一浩さんと、“世界一低い”とも称されるアンダースローで千葉ロッテマリーンズを支えた渡辺俊介さん。
同時代のパ・リーグで何度も対戦し、第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではともに世界一も経験した2人が、現役時代には知ることのできなかった互いの本音が披露された。
(写真 / 文:白石怜平)
初めて実現した2人でのトークライブ
「MEMORY COLLECTION」は、日本プロ野球OBクラブが主催するイベントの一つ。
プロ野球の歴史を彩ってきたOBによるトークショーに加え、サイン会や写真撮影も行われるなど、ファンにとって文字通り“記憶に残る”時間を過ごすことができる。
同じ球団でチームメートとして共に活躍したOBだけでなく、チームの垣根を越えた顔合わせも実現するなど、ファンにとって楽しみの幅が広がっている。
今回は2000年代初頭から中期のパ・リーグで対戦を重ねた同士の貴重な共演となった。
オープニングでは、アシスタントを務める中西智代梨さん(元AKB48)の進行で「○×クイズ」を実施。
「今日のキャスティングを聞いて、当日が楽しみだった」という質問には、2人そろって「○」を掲げた。

現役時代には対戦しているものの、引退後にトークショーで共演するのは今回が初めて。和田さんは「こういった形で会うことがなかったので、自分の中でも新鮮でした」と話した。
一方、渡辺さんは和田さんのSNSを目にする中で、ゴルフの腕前が気になっていたという。
「今日会ったら、ゴルフの極意を聞こうと思っていました」と笑顔で語るなど、早くも楽しい雰囲気が溢れ出た。
続く「人生をやり直せるなら、もちろん野球をやる」という問いでは、両者ともに長考するシーンも見られた。
和田さんは再び野球を選ぶとしながらも、「和田一浩には戻りたくない。大谷翔平になりたい」と答え、会場を笑いに包んだ。

小学生の頃までは純粋に楽しめていたものの、年代が上がるにつれて上下関係や厳しい練習、結果へのプレッシャーが加わったことが理由だった。
さらにプロ入り後は数字との戦いが毎試合続き、現役生活を終えるまで心の底から野球を楽しめた感覚は少なかったという。
「ヒットを打った時は一瞬楽しいです。でもベンチに戻ったら『次の打席をどうしよう』『明日の試合はどうしよう』と考えてしまう。大谷選手を見ていると、野球って楽めるんだと思いましたね」

一方渡辺さんは、「子どもの頃本当にしたかったことって、部屋にこもりながら絵描いたり図面を描いたりとかが好きだったので」と「×」を挙げた。
和田さん同様に野球人生は苦しい時間の方が長かったとしながらも、ロッテ時代にかけられた言葉や、海外でプレーした時に“野球を楽しむ”ことに気づいていったのだという。
「ボビーが来た時に『お前ら野球楽しめと。楽しめないからここから出てけ!』って。なんか楽しんでいいのか、脅されてるのか分からないようなミーティングがあったんですけども(笑)、あの辺から楽しんでもいいのかなって疑いながらやり始めた状態でした。
心から野球を楽しんでいいんだと思えたのは、アメリカに挑戦してからですね。ウィンターリーグでもベネズエラで投げている時も、本当にみんな楽しそうでした。
でも負けると悔しそうだし、次の日クビになってしまうかもしれない。さまざまものが混在している中でやってました。
今×挙げましたけども、僕も野球でいい思いをたくさんさせてもらったので、記憶があるなら違う野球人生をもう一回やってみたいというのもあります」

「一番打てなかった相手は渡辺俊介」両者が抱いていた恐怖心
ここから進行をプロ野球OBクラブの星俊さんにバトンタッチし、現役時代の関係を深掘りした。
和田さんは「正直、憎くてしょうがなかったです(笑)。相手投手の中で一番打てなかったのが渡辺俊介なんです」と意外な言葉を口にした。
「苦手意識ではなく、本当に苦手」と繰り返しており、下から浮き上がるように来る渡辺さんの球筋と自身のスイング軌道が合わなかったという。
予告先発で渡辺さんの登板を知ると、ヒットを打つことよりも四球で出塁する方法を考えていたことを明かした。
「相性がいいピッチャーは(ヒットを)2本打ちたいんですよ。ただ、苦手な相手は3タコまでは許せるけど、 4タコはしないと思って臨んでいました。なので1本打てたらラッキーぐらいな感じだったので、本当苦手でした俊介は」

ところが渡辺さんは、和田さんが自身を苦手としているとは思っていなかったそう。ただ、自身がプロ野球の世界で生き残れるかの転機となる試合に、和田さんとの対戦が関係していた。
「2003年に自分が先発ローテーションを確定できるかどうかの試合が西武戦でした。先発がカブレラに場外ホームランを打たれたりして3回ぐらいでKOを食らった後、僕がマウンドに上がったんです。
だけど、ノーアウト満塁でバッター和田さん。その時確かすごく打ってたシーズンで、いきなりカウント3-0にしちゃったんです。次ストライクを取りに行ったら和田さんが見逃してくれた。
よかったと思って2球目シンカーを投げたらど真ん中に行ったんですけど、風で思い切り曲がって空振りしてくれて。その後内野フライだったか三振か何かで打ち取って、そこから乗っていけたんです」

それ以降も、独特の間を持つ和田さんのスイングに「いつかタイミングを合わせられたら、めちゃくちゃ打たれるのではないか」という恐怖心を抱いていたと、互いの対戦を振り返った。
社会人野球で感じた大人たちの「必死さ」
この後の話題は2人の共通点である社会人野球について。和田さんは神戸製鋼、渡辺さんは新日鉄君津を経てプロ入りしている。
さらに引退後も和田さんはJR東海の臨時コーチとして指導し、渡辺さんは新日鐵住金かずさマジックで選手・コーチさらには監督を務めた。
ちょうど各地で予選が行われていたこの時期、8月下旬から始まる都市対抗野球の見どころを問われた渡辺さんは注目ポイントをこう語る。
「チームの一体感とか応援ですね。同僚や部下だったり取引先といった方々がスタンドに駆けつけて、一人一人への思い入れが強いんですよ。
それに対して選手も精一杯プレーで応える。大の大人が一本ヒット打った・1イニング抑えた、あとは勝っても負けても泣いてるんですよね。
あれぐらい想いを込めてプレーする。大人が熱くなっている姿というのは、日本人が好きな野球の一つかなと思うので、ぜひ見てほしいなと思います」

グラウンドだけでなく、企業や地域の特色が表れる応援も社会人野球の魅力。
和田さんは指導しているJR東海を応援しに予選に足を運んでおり、長時間にわたって踊り続ける応援団の体力や企業ごとにオリジナリティあるパフォーマンスにも目を奪われたと印象を述べた。
「今俊介が言ったように、選手もスタンドも必死さがあって見ていて感動します。あの姿勢ってやっぱりいいなと。今回(JR東海の)予選を観に行ったんですけど、すごく感じましたね」と同意した。
2人の野球人生を彩った恩師
最後のテーマは、現役時代に出会った恩師について。和田さんは西武入団時の監督だった東尾修さんを挙げた。
球団は野手として指名したが、捕手を続けたいと伝えた和田さんに「それなら捕手をやれ」と尊重し、01年まで捕手としてプレーした。
02年から外野手に転向するが、捕手に区切りをつけることになったのが01年10月1日の日本ハム戦だった。
「東尾さんが監督として最後の試合で、松坂大輔とバッテリーを組んだんですけども、松坂が絶不調だったんですよね(笑)。その時にまさかのサインミスが起こるんですよ。
彼は球が速いから真っ直ぐと思ってスライダー投げられたら捕れないんですよ。それで1試合で3捕逸したんです。今もプロ野球タイ記録(笑)。あの試合を機に僕はキャッチャーを辞めました」

渡辺さんは、「最も勝たせてもらった」というバレンタイン監督を挙げた。
「さっき野球が苦しかったって言ったんですけど、その苦しさを少しずつ省いてくれたのがボビーでした。彼は打球を独自に分類して、その打球で投手の責任か指示した自分の責任かを分けていました。
『お前はゴロを打たせなさい。ポジショニングは俺が動かす。勝ち負けとか、間を抜けたヒットまでコントロールしようとするな』と言われたのは結構衝撃でしたね」
その経験は後に指導者となってからも活きているそうで、選手の不安を減らし、自分のパフォーマンスへ集中できる環境をつくることが参考になり、「指導者の恩師としてもすごく印象に残っている監督です」と語った。
その後も参加者からの質問やプレゼントコーナーなど様々用意され、そしてトークショーの後はサイン&撮影会で交流を深め、2人も心から楽しんだ。
現役時代には好敵手として対峙していた和田さんと渡辺さん。この日は今だからこそ語れる数々のエピソードを通じて、ファンにとっても当時の光景が呼び起こされた。
加えてここでしか聞くことのできない裏話によって、また新たな記憶が刻まれた一日となった。
(了)
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